「トマツ戸松タカヒロという肉態シャーマン」 戸松タカヒロ

私は25年以上精神医療に関わり(デイケアにて美術と運動プログラム講師、カウンセリングなど)多数の患者たちと対話・親交してきた。いつしか彼らが精神疾患という障害者であることが、さほど気にならず、ともかく目の前に縁の起きる、たった一人の「人」として語らう楽しみを観じるようになった。

 

時に妄想という病態にも付き合い巻き込まれることで疲弊することも度々あるが、それは精神的にもエネルギッシュな情動なので一緒にポジティブな方向にむかえば驚くべき感動を教えてくれることもある。

 

大昔のシャーマンや超能力者などは何かしら精神疾患を患っていたと言われるし現代の藝術関係や表現者にもそういう方々が素晴らしい才能を開花させることも多々ある。

 

私は、例えば患者よりネガティブな被害妄想の訴えがあったとして、魑魅魍魎うずまく地獄絵図のような恐怖の臨場感に苦しんでいる当事者の話に傾聴、プロのカウンセリングならココまでで、あくまでも医療従事者というスタンスを保ち妄想の深堀りをあまりせずに傾聴だけに留め精神分析と対処療法(投薬など)をとるのが基本である。

 

しかし、私は、その臨場感に一緒に入り込んでしまう、とは言っても当事者の深い苦悩は絶対に理解出来ないし立ち入れないのだが、ただ、そのリアリティだけでも共感・狂観して一緒に謎解きを楽しむ。それは、かなりスリリングな魂の交流でもあり、一緒に見つけた妙な鍵を秘密のトビラの鍵穴に差し込み開放する歓びを分かち合うこともある。

 

長年多数の患者たちとそのように親しく接する中で、様々な病的妄想を共に狂観して地獄から天国に向かうようなプロセス、その歓喜と感動の時空が、私には重要な哲学や宗教のごとく心と魂のエネルギーを与えてくれる。とは言え、それは、おそらく精神医療とは別次元、専門家からみれば大変危険な関わり方なのだろう。

 

たしかに私は無資格のただのデイケアプログラムの講師でしかなく、もしかしたら興味本位で患者の病的妄想を聴き出し狂観しているだけ?治療や医療とはほど遠く、じつは患者なのかスタッフなのか?!存在や意味不明のグレーな存在でもあるようだ。要するに医療現場では不良スタッフ、ヤクザな講師でもあるワケで色々迷惑もかけている。

 

ともかく狂気のエネルギーを一緒に旅して狂える、その情動を共に前向きな妄想に、ポジティブな表現に仕向ける、そのためにも心の冒険を一緒にしながら、時に私の方こそ激しい情動に狂う反応や態度が表出することもある。それは、まるでシャーマンに何かが憑依して思わぬ表現をするように、、それを私は肉のカタマリの態度で「肉態」と称し独自の身体表現に反映させて試み続けている。

 

山下洋輔×トマツタカヒロ肉態duoシリーズもそうである。それも今年で7回目となる。洋輔さんもシャーマンである。

これからもさらに世の中の素晴しいシャーマンたちと出会い縁を起こして、宇宙の愛と使命を伝えていこうと覚悟している。

 

ーーーーーーーーーーーーーーー

 

「トマツタカヒロの音に寄せて」 西江雅之

 

通称・パーニャ、本名・トマツタカヒロの作品世界には、10年以上にわたって付き合ってきた。彼の主題は音である。

それは、自分の肉体を使って何かを叩いたり、何かを擦ったり、何かを吹いたりして音を出すというのではない。

 

彼は確かに何かを叩いている。しかし、その本質は、叩いている何かにあるのではなくて、彼の肉体・肉態そのものなのである。また、その音は彼の肉体から出ているというのでもない。彼の肉態そのものが音なのだ。

 

そのためにか、彼は音そのものである肉体作りに多くの時間を費やしている。

彼の音は、耳に聞くだけのものではない。それは、五感のすべて、情動のすべてに響くものなのだ。

 

彼の音を目で聞いてみよう。記憶で聞いてみよう。